安部譲二さん死去とジョージ・フォアマンの私的な思い出

作家の安部譲二さんが死去されました。享年82歳だそうです。
安部さんは私の中学校の大先輩です。
中学生のころから渋谷の安藤組に出入りし、任侠の世界に入りました。前科は14犯だそうです。
その後堅気に戻り、様々な職業を転々とした後、自身の刑務所生活を基に執筆した「塀の中の懲りない面々」で作家として世に出られました。
それからは「塀の中のプレイボール」など刑務所物の小説をものにしておられましたが、彼の真骨頂はスポーツライターではなかったかと思います。
小説の題名からもわかるように彼は大の野球ファン、特に阪神タイガースの大ファンでした。
スポーツ新聞(デイリーでしたか?)に野球コラムを持っていて、いつも選手たちへの愛情に満ち溢れた素晴らしいコラムを書かれていました。
若いころはボクサーだったそうで、戦績は勝ったり負けたり。凡庸な選手だったと自分で語っておられました。
彼がボクサーだったこと、そう良い選手では無かった事は、潰れた鼻を見ればわかります。
彼の祖母はナオ(本名は直也)はもっと男前だったのにと彼の鼻を見るたびに嘆いていたそうです。
彼の小説はいくつか読みましたが、軽いユーモア小説です。私にはそれより印象に残っている本があります。1987年に出版された「殴り殴られ」です。
マイクタイソンや藤猛などの世界チャンプ、元世界チャンプを世界中を回って取材した本です。
私は発売後すぐに買いましたが、なんといっても印象深いのはジョージ・フォアマンの項です。
彼は1973年、当時最強のヘビー級世界チャンプ、ジョー・フレイジャー(29戦全勝25KO)を2Rで5回もダウンさせ「キングストンの惨劇」を完成、葬り去ります。その試合はナマ中継で観ましたが、本当に驚きました。
その後も圧倒的なKO防衛を続けますが、1974年の3回目の防衛戦でモハメド・アリに8RKOされ王座を失います。これが「キンシャサの奇跡」です。これも生中継を見ました。大変な衝撃でした。
その後は力を落とし、勝ったり負けたりの戦績でしたが、1977年ジミー・ヤングに判定負け、精根尽き果てた試合後のロッカールームで「神」を体験し、引退します。
その後、牧師として活動していましたが、教会を維持する資金を稼ぐため、ボクシングへの復帰を決めます。
引退して既に10年がたっていました。
安部譲二さんがフォアマンを訪ねたのはちょうどその頃でした。
現役時代とは似ても似つかぬ丸々と太った体で、一人黙々とサンドバッグを叩いていたそうです。
安部さんはジョージの体を心配し、止めておいた方が良いよと言葉を選びながら語り掛けますが、彼はニコニコしながら「俺はやるよ」と。
安倍さんはジョージには直接言えませんでしたが、ヤングに負けた後見た「神」なんて、彼の弱った心が作り出した、ご都合の良い神様だよ。彼が打ちまくられるのは見たくないと結びます。
皆さんはこの後の驚くべきストーリーをご存知でしょう。1987年に復帰後、ジョージはなんと24連勝し、二度の世界タイトルマッチを戦いました。この時は判定負けしましたが、彼に最後のビッグチャンスが訪れます。
1994年、WBA・IBF世界チャンプのマイケル・モーラーとのタイトルマッチです。
この試合も生で見ていました。
終始劣勢でした。私はもちろんビッグ・ジョージを応援していましたが、試合の行方は見えたと思っていました。
しかし第8R、運命の瞬間が訪れます。
一発だけ、本当に一発だけ、ジョージの右ショートストレートがモーラーの顎にヒット、そのまま10カウントを聞いたのです。
カウントアウト、勝利の瞬間、ジョージは驚いたような顔をしました。そしてコーナーポストの前に跪き、祈りを捧げました。
ジョージ・フォアマン45歳9か月の出来事です。
実は、私はこのショートストレートがヒットした瞬間を見ていません。まだ4歳か5歳だった長男とTV観戦していましたが、その瞬間に長男が何か私に仕掛けてきて目を離したスキに全てが終わっていました。
1997年に引退しましたが、実はカムバック後のジョージはKO負けはおろか、一度のダウンも喫していません。
彼の太った体は打たれ強さをもたらしたようです。
もともとテクニックの優れた選手ではなく、フットワークも悪いのですが、彼は圧倒的なパンチ力で圧倒的な勝利を積み上げてきました。
カムバック後もハンドスピードだけは衰えず、トレードマークであった「像をも倒す」パンチはモーラー戦を見るまでもなく最後まで健在でした。
少し話がそれてしまいました。安部譲二先輩のご冥福をお祈りします。
ああそうか安部譲二はジョージ・フォアマンとジョージ繋がりだったんだ。今気づきました。
P.S.1
フォアマンの一時引退前のTV中継は全てTV東京でナマで観ました。当時は日本時間で月曜日の午前中に世界タイトルマッチが行われていました。
アリ、フレイジャー、フォアマン、ライル、ノートンなどヘビー級が大人気だった時代で、ヘビー級のタイトルマッチは地上波で生中継されていたのです。
私は1958年生まれですので、「キングストンの惨劇」は15歳、「キンシャサの奇跡」は16歳でした。
中学から一人暮らしでしたので、世界戦のある日は学校をサボってTVを見ていたのです。
結果が出ると学校に行き(マンションと学校は徒歩2分)、黒板に世界戦の結果を書いていましたね。みんな興味津々でした。
今は海外の世界戦はWOWOWかDAZNに加入しないと観られません。という事は多感な少年時代にこれらを見る事はかなり難しくなりました。
何かを深く感じたり、味わったり、その後の人生の指標となるような体験を少年時代に得られない環境は残念ですね。
もちろんプロボクシングは興行ですからこれで良いのですが、こんな時こそ受信料をガッポリ取ってるNHKが権利を買って放送すればいいのになぁ。
「ブラたもり」も「家族で乾杯」も「朝の連ドラ」結構ですが、これを地上波でやれば人生観や生き方が変わる少年が沢山いると思うんですが。
P.S.2
安部譲二さんのアイドルは何方だったかご存知ですか?岡田奈々さんです。
元プロボクサーで893の世界を渡り歩いていた前科14犯のオヤジには似つかわしくないですよねw
でもそのギャップ、なんだかわかります。男にはそんなところがありますよね。
みんな自己矛盾を抱えて生きていますからw
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