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zoom RSS ハンセン病療養所・邑久光明園に見学に行きました

<<   作成日時 : 2018/11/07 23:08   >>

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 月曜日は伯鳳会医療専門学校・明石校(看護専門学校)の3年生と一緒に、ハンセン病療養所の邑久光明園に見学に行きました。

 光明園は岡山県瀬戸内市邑久町虫明、長島という瀬戸内海の島にあります。
 元々は淀川下流の三角州に1909年(明治42年)に建てられた、大阪の療養所でした。
 ここが1934年(昭和9年)の室戸台風にて高潮にのまれ壊滅(死者187名、生存者416名)しました。
 再建を試みましたが、従来より地元から排斥されていたハンセン病施設は再建がかなわず、既にハンセン病療養所の長島愛生園のあった岡山県の長島に再建されました。

 最も療養者の多かった時期には入所者1200名を数えたそうですが、現在は入所者数92名、平均年齢は86.1歳です。
 入所年数が50年を超える方が92名中69名に上るそうです。

 振り返りますと、ハンセン病は感染力の弱い伝染病で、生命予後の良い疾患なので、疫学的には隔離は必要なかったそうです。
 1948年(昭和23年)には特効薬のプロミンによる治療が開始され、治る病気となり、恐れるほどのものではなくなりました、
 しかし長い間の社会的偏見、長期収容による高齢化、社会適応への不安から、1996年(平成8年)らい予防法の廃止後も、2001年(平成13年)小泉内閣の時期の「らい予防法違憲国家賠償請求」の勝訴確定後も相当数の方が療養所から出ていくことが出来なかった、あるいは退所したものの社会生活に適応できず再入所されたそうです。

 入園者の自治会長さまのお話も聞きました。

 園では3,213名の方が亡くなられており、そのうち1,769柱が園内の霊廟にお祭りされているそうです。
 つまり亡くなった方の半数以上が死者となっても島を出ていけなかったのです。

 ハンセン病患者に対する社会の偏見、差別には根強いものがあり、入園者は家族に迷惑をかけないためにその存在を押し殺すように生活し、死後も故郷の墓に葬られることすら叶わなかった、あるいはそれを望まれなかったのです。
 入所者の相当数が、園内で生活するにも本名は使わず「えんめい」を使っておられたそうです。

 
 わたしは自治会長のお話に何度も出てきた「えんめい」の意味が良く分からなかったのですが、お話が終わるころには「園名」という仮名だと気が付きました。

 帰りの車の中で、私の運転手のSさんに、さらに悲しい話を聞きました。Sさんの奥様は看護師で、以前に光明園の隣のハンセン病療養所、愛生園に努めておられました。
 2001年、「らい予防法違憲国家賠償請求」の勝訴で入居者に800万円〜1400万円の賠償金が支払われることになりました。
 すると今まで園を訪れたこともなく、存在を入園者すらしらなかった「家族」が次々と名乗り出たそうです。
 
 入居者はみな高齢者で、入園している限り大きな支出はありませんから、そのお金の大半は残るでしょう。
 あとは書かなくてもわかっていただけるでしょう。

 自治会長の講話も、院長(医師)の授業も「入居者は家族の幸せを願ってこの地に留まった、死後も故郷に帰らなかった」と言われていました。
 そうなんでしょうか。

 今まで音信不通であったのに、お金になると判ると出てくる「家族」のもとに死後帰りたいでしょうか。
 それよりも何十年も園で苦楽を共にし、先に逝った友人たちと同じ場所に眠ることを選ぶのではないでしょうか。

 ハンセン氏病は若年で発症することが多く、子供時代に療養所に隔離され、そこで一生を終えられた方が沢山おられます。
 子供は親に、「治るまでの少しの辛抱だ」、「あそこで治療すれば治るから」と半ば騙されて瀬戸内海の孤島に隔離されたのです。
 父母への思いは複雑だとは思いますが、そんな家族の元に、それでも帰りたいでしょうか。
 それよりも何十年も園で苦楽を共にし、先に逝った友人たちと同じ場所に眠ることを選ぶのではないでしょうか。

 園の生活には喜怒哀楽もあり、愛情も笑いもありはしたでしょう。しかしそれは全て「籠の中」でしか達成されなかった。
 園では自殺した人も、島から脱走を試みて溺死した人もたくさんおられたそうです。

 入居棟を一部見せてもらいました。限られた条件の中ですが、医師、看護師などはその中で最善を尽くしてはおられたと思います。
 しかし同時にその中で忌まわしい断種手術が同時に行われていました。

 職員が入園者を差別する事は無いとされていますが、かつて島に橋がかかるまでは(1988年邑久長島大橋、人権回復の橋)島には二つの桟橋があったそうです。
 きれいで使いやすい職員用の桟橋と汚くて使いにくい入園者用の桟橋だったと職員自らが語ってくれました。

 入居者の平均年齢が86.1歳ですから、あと20年もしないうちにハンセン病療養所は日本から消滅するでしょう。 今こそすべての医療人、すべての国民はこの歴史を胸に刻むべき時であると思います。

 私はハンセン氏病入所施設が全国に点在するのは知っていました。
 しかしその存在が深く心に棲んだのは、遠藤周作の「私が棄てた女」を読んでからです。
 私はこの小説がハンセン病に関するものだとは知らず、読み始めました。前半は必ずしも面白いとは言えない小説ですが、後半は圧巻です。
 療養所見学の前にはぜひご一読されることをお勧めいたします。

 1938年(昭和13年)に光明園が大阪から岡山の長島に移転したときに、同時に移ってこられた入所者がまだ数名、御存命だと聞きました。
 その80年という圧倒的な時間の長さに目がくらむとともに、激しい無力感に絶望します。

 月並みですが、どんなことがあっても二度とこのような過ちを繰り返してはいけません。
 そして、入園者のことを決して忘却してはなりません。
 

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
いきいきやめませんか?
正直、しんどいです。
毎回、苦痛です。
平等、公平な評価が出来る上司ではありません。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181107-00010001-jij-sctch
しんどいわ
2018/11/07 23:24
しんどいわ様、コメント有難う御座います。

伯鳳会グループは経営指針書といきいきカードでここまで来ました。全てに完璧な経営手法も完璧な人事考課制度も無く、細部では齟齬があるでしょう。
しかしながら、大局的にはPDCAサイクルを回す有効な手段です。
さらに効果のある経営手法があれば、すぐにでも変更しますが、現在までこれを凌ぐ手法は見あたりません。
更に良い経営手法があるようならご教唆下さい。

先日の医療経営学会でも経営指針書と人事考課のコラボで成果を出している報告がありました。これには汎用性があると思います。オリジナルは私ですが(^ ^)

考課者訓練は定期的に行っていますが、なかなか完璧とは行きません。ある程度能力が無いと、このシステムを円滑に運用するのは難しいです。

医療介護業界は人材的に不十分なところが多いでしょうが、
伯鳳会グループがこの手法で20年間で事業を8倍に拡大し、数100億円の利益を上げ、数100億円の納税を行ったことも事実です。
職員会は上司評価制度を一部作成し、人事考課に盛り込むよう動いています。しんどいわ様も是非参加、協力して下さい。
ベンプレ親父
2018/11/08 01:42
いきいきカードですか…。
40代にして、文字が小さすぎて読めない(笑)
A3くらいにしてもらえるとありがたいです。

それはさておき、大阪陽子線…経営判断大丈夫でしょうか?
大陸の支援で、医療ツーリズムができると良いのですが。
楊尚昆
2018/11/08 22:47
陽子線施設は手を出したら大やけどするリスクが高い。伯鳳会だからこそ維持できる物件であり、体力・組織力の無い法人は無理。
下手すると愚痴の捌け口になり、デモチの象徴になってしまう。

技術やデータの蓄積には価値があるのでしょうが‥。
電気代だけでも桁違いで、冷や汗もの。
とりあえず気合いで頑張って、気合いで踏ん張って欲しい。
登記供託ねっとVer2.5
2018/11/09 21:23
はじめまして。たまに拝見しています。
私は、こなハンセン病施設の看護学校で看護を学んでいる学生です。
施設見学をされて、沢山思い、感じたことと思います。
だけど、偏見や差別が無くならない現状なんですよね。実際、私も学校に入りハンセン病の事を学ぶまでは、病気の事、施設存在すら分からなかったです。
少なからず、他の学校に比べて人権を学ぶ良い機会となり、今私達に何が出来るのか?考えさせられる場ではあります。
入所者の方々は本当に気さくな方ばかりで、交流でも私達が元気をもらいます。
小さな働きかけから色んな方にハンセンの歴史や現状を知ってもらいたく、投稿させていただきました。
大きな病院ねはそれなりの医療設備が備わっていると思いますが、一人一人に向き合う看護も素敵だなと最近、学生ながらに思ったりします。
ここの施設では、よそで出来ない、人対人の看護が出来る所だなと思ってます。
ブラッと
2019/03/13 01:06

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